温かいほうじ茶が入ったお湯のみをしっかり自分の両手で持ち、ゆっくり口元へ。
ごくん、と一口飲みました。
「香ばしい香りがします」
にっこり微笑んだその様子に、傍に付き添っていた娘さんは、
「まあー!何てこと!香ばしいですって!」
しかも、とろみもついていないお茶を何事もなく飲んだことに、二重のびっくり。
聞けばこの一年、病院を転々とし、右足の指を切断、あらゆる治療を受け、寝たきりとなっていた母の言葉はわずかで、「痛い!やめろ!」「(食事が)まずい」くらいだったそうです。
入院中、いったい何を食べているのか、そもそも食事とは到底思えないであろうムース食、とろみ付のお茶しか許されなかったカズエさんに、食卓で、みんなと同じ普通の昼食を出しました。
できたての温かいだご汁とおにぎり。
手前にお箸とスプーンを置いてみる。
迷うことなくお箸を手に取り、お椀を持ち、少しずつ口へ運ぶ。
「おいしい」と言いながら、どんどん食べ進める。
あまり噛まずに口の中にため込んでいる感じ。でもむせることなく、少しずつ、ゆっくり、結局全部食べ終えたのです。
「まあー!何てこと!」娘さんはのけぞりました。
「箸の使い方覚えていたの?!」
「とろみなしでむせずに飲めるの?!」
「普通の食事ができるの?!」
「???!!!」
そこからカズエさんの復活劇は始まりました。
一日三度の食事ごとに、じわじわめきめきと噛むこと、飲み込むことを身体が思い出したように動き始めました。「食べて出す」ことがまわりだすと脳や内臓や血流や神経が目覚めたのか、みるみる元気になっていきました。言葉がどんどん増え、喜怒哀楽が躍動しました。
絶対風呂に入りたくないカズエさんと、
絶対風呂に入ってほしいわたしは本気でけんかしました。
「給料分の仕事しかせん」と言われました。
宴会で『ヤットン節』を一緒に歌いました。
酒呑むな 酒呑むなのご意見なれど
よいよい 酒呑みゃ酒呑まずにいられるものですか だがね
春、お花見しながら、本当に美味しそうにうれしそうに、手酌で大好きなビールを飲みました。
アベノマスクが届いたときは、手をたたいて大喜び。
名前を書いて 誰からもらったか
国宝にしとかな いいものもらった
よかったどころか ずっと大事にしとかな
こんなんもったもんはおらん
もったいない 汚れたら困る(大事にビニールにしまう) 一票入れなやろ
収賄になるかね
そして三度目のお正月が過ぎたころ、少しずつ食べる量が減り、よかったり悪かったりしながらゆっくり最後に向かって下りていきました。
いつ終わりが来てもおかしくないと感じ始めてから1ヶ月、痛むことなく、苦しむことなく、ぼんやりしてきて、柔らかな表情を浮かべ眠る時間ぎ増えていきました。
夕方、食堂のいつもの席に座り、ガラスのコップを自分で持ち、りんごジュースを少し口にし、静かにコップを置き、目をつむり。
ベッドに横になり、日付が変わるころ嘔吐、午前2時駆けつけた娘さんをびっくりしたような笑顔で見つめ「何しに来たん?」その1時間後から呼吸が変わり、午前4時、息を引き取りました。
何という最期。最後まで生き、命を終えたカズエさん。傍にいたわたしたちはそんな終わり方に立ち会わせてもらったのです。
あとひと月で満96歳の大往生でした。
ひさのは7年目に入りました。カズエさんは23人目の看取りでした。
ひとり一人のお年寄りがそれぞれの寿命を生きて(生かされてではなく)終わる、
そのありように毎回目を見張らされます。
食べられなくなったら命を終える。すべての生きものに共通の最後の姿。
生命の法則に沿ったかかわりは、氷が溶けて水になるように、終わりゆく身体に無理なく馴染み、安らかで、そして何より自分自身で終わっていけることを実感するばかりです。
カズエさん!ありがとう!
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