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執筆者の写真田中好

『五感で感じる 終わりゆく身体』

6月5日19:30中村仁一先生が永眠されました。

ひさのへの道を開いてくださった大事な方です。

私にとってのみならず、今となっては人生の最後をひさので過ごしたお年寄りとご家族、そしてひさの職員にとっても大事な方となりました。中村先生のおかげで「老い」や「死」を自然の摂理のなかで受け止めるということを体感、納得、満足できた幸せ者が増え続けています。

先生の言葉「死にゆく自然な姿を見せるは 先に逝く者の最後の務め」

ぎりぎりまでご自身の心身の状態をありのまま伝え続けてくださった先生は、有言実行、ご自宅で最期を迎えられたそうです。息子さんが書かれたブログでそれを知ったのが、亡くなられてからちょうど2週間目の日でした。そう、2週間前のその時。私は急きょ受け入れることを決めた94歳のアキラさんと過ごす3日3晩目の夜で、アキラさんのベッドの傍にごろりと横たわっていました。その息づかいや様子を感じながら「ひとつのりこえた…か…」からげていた心と体が、かすかな安堵をふっと感じた、あの夜のあの時だったのか、と。

「認知症の母の相談があります」とご家族が3人でひさのに来訪したのがちょうどその1週間前。今ホームは満室で、相談だけでも…と来ていただいたはずが。話の途中から何かが舞い降りて、終わってみれば‘認知症の母’ではなく、1か月前に脳梗塞で倒れ、寝たきりで管に繋がれ入院中の彼女の夫を受け入れましょう、という話になっていた。

いろいろなことができなくなった妻に代わり、家事一切を担い、畑で野菜を育て、DIYもお手の物、孫やひ孫に愛されて、元気に幸せに暮らしていた94歳のおじいさんが突然倒れ、右半身が麻痺し、動くことも、しゃべることも、食べることもできないで、鼻から管で栄養を流し込まれ、おしっこの管が入れられ、寝たきりで家族にも会えず、激変した自分の状況をどんな気持ちで抱えて横たわっているだろうか。一度鼻管を抜いたその手にはミトンがはめられ、次々と抗生剤を変えても下がらない高熱、むくんだ手足、日に何度も吸引が必要な溢れる痰…

病院で管に繋がれた多くのお年寄りを見てきた私は、おじいさんの今の状況と、その後行く末の姿が、ありありと想像できました。その上このコロナ禍で、家族はひと目会うこともできず、悶々としていました。

「父はとりあえず病院だから安心です。でも胃瘻などの延命治療はしたくないのです」という家族の言葉に、「安心どころか…何年も寝たきりコースへの道…」と心の声が呟いていました。

その4日後、すべての管を抜いて、アキラさんはひさのへやってきました。

ひと目会いたい一心で、管を抜いてひさのに来る決心をしたご家族。

変わり果てたその姿を見てどう思うか。食べることができなければ、命は終わりへ向かうこと、つまりその先に死があることを、受け入れられるのだろうか。

医療から離れたことに不安を感じるかもしれない。やっぱり病院を出なければよかったと思うかもしれない。

でも。

全力で受け入れよう。ご家族と一緒に丁寧に、しっかりと、その身体に向き合おう。

ご家族とたくさん話をしよう。

そう思った。それしかない。それしかできない。それができる。それがすべて。

それから1か月、アキラさんはひさので暮らしました。満面の笑みで家族との時間を過ごし、ひ孫たちにもみくちゃにされ、水ようかんを味わい、バナナジュースを「おいしい」と飲み、お椀一杯の甘酒は、ごくん、ごくん、と少しずつ喉を通っていきました。よく動くようになった左手で器用にパジャマのボタンを外し、タオルケットをはぎ。バイバイと手を振ってくれると思いきやポリポリと頭を掻き。嬉し楽しでズッコケる私たち。

アキラさんの身体が持っている力に向き合う。アキラさんの生命力、どうよ。どうなるの。どうするの。どんな感じ。‘自問自答’ならぬ‘彼問彼答’。そう、答えは彼の中にあるのです。見て、聞いて、触って、嗅いで、感じていきたい。アキラさんと息を合わせる。抗生剤の点滴も、吸引も、褥瘡防止マットもなしに、高熱も、痰も、床ずれも、自然に治まっていきました。アキラさんの笑顔と言葉に、私たちは色めき立ちました。生きる力を感じうれしさをかみしめました。ついつい前のめりになる‘食べたらいいな’‘もう少しいけるかな…’と折り合いをつけながら。アキラさんが自分で手を伸ばし、吸い飲みを手に取りお茶を飲む。少しずつ、自分の間合いで。自分の量で。すごいな。目を見張る。飲みたい、食べたいという思いが動かなかった身体を動かす。おいしいと感じ、心が動いて出なかった言葉が出る。

アキラさんの身体は3週間、踏みとどまりました。ほんの少しの甘いものや水分で命をつなぎました。そして目を閉じ、口を閉じました。ああ、終わりへ向かうのだ。そう思いました。

アキラさんは1か月間、最愛の家族にお別れの時間を作ってくれました。家族もその心意気を、阿吽の呼吸でしっかり受けとめました。たくさんの温かいまなざしがアキラさんを見つめ、にぎやかな声と空気がアキラさんを包み、その体に触れ、初めて目にする「命が終わっていくさま」に目をそらすことなく向き合い、ひとりひとりがそれぞれに何かを感じているようでした。還暦の娘さんも、30代のお孫さんも、小学生のひ孫ちゃんも、だんごむしを握りしめ、ひいじいちゃんの周りを走り回っていた3歳のおチビちゃんもきっと。そんな時やっぱり思い出す。ナンシー・ウッドの『今日は死ぬのにもってこいの日』。

木々の緑の香り漂う朝のひんやりした空気、薄暗く雨の音と水を含んだしっとりとした空気、そよそよと気持ちの良い柔らかな風が流れ込む午後のひととき、窓を開け放った。アキラさんにその自然の息づかいを感じてほしかった。終わりゆく身体に染み入るような心地よさがあるように思った。同じ自然と自然が共鳴するような。傍にいたわたしも同じ気持ち、同じ心地よさ。すーっと心と身体が解放されていくような、自然とシンクロするような気持ちよさ。

いよいよとなってきた時、昼夜付き添った娘さんは、布団の父の傍らで横になり、「気持ちよくて、ぐっすり寝ちゃいました」と笑った。

「ぜったい見届けさせてね、お父さん」と言っていたその娘さんと、息子さん夫妻が見守るなか、アキラさんは息を引き取りました。7月2日20:50。ひさのへ来てきっかり1か月でした。

中村先生と同じく「最後の務め」を立派に果たされたアキラさん。見送ったご家族の心には、しっかりとその最後の姿が生き続けていくことでしょう。私たち職員もまたアキラさんとアキラファミリーから、たくさんのかけがえのないものをいただきました。アキラさんの魅力的な笑顔とともに、心のなかで反芻しています。

ひさのでお年寄りの最後に立ち会うたびに思う、「わたしもちゃんと老いて、ちゃんと死のう」。誰ひとりの例外もなく、必ず訪れる最後の時。飲み食いできなくなれば「寿命」というのは、あらゆる生きものに共通の最後の姿。我々人間がどうすることもできない、計り知れない自然の有りよう。

「降りたきゃ降りまっしょうや」とホームで暮らすフジ子さん。また雨ですよ。洗濯物が乾かない、とぼやくわたしに。まぎれもなく私たちもその自然の一部であることを、一部でしかないことに、思い至ります。自然に沿うように、老いてゆく心と身体に沿っていくと、その先におのずと終わりが訪れるということ。多くの人に知ってもらいたい。

中村先生から手渡されたバトンをしっかり握って、歩いていきます。

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